歴史・沿革
大阪仏壇の歴史
大阪仏壇産地は、日本で最も古い歴史を持つ仏壇産地と言われている。552年、日本に仏教が伝来し、百済の威徳王から、海上の要所であった難波津の御津浦(現大阪市中央区三寺町)へ、経文と共に6人の仏工(仏師)、造寺工(大工・細目師)が遣わされた記録が残っている(日本書紀)。又、593年聖徳太子が四天王寺を建立する際に、百済から4人の技術者を上町台地に住まわせた。のち、これら大陸からの技術者が中心になり大阪産地の仏壇・仏具生産が形成された。大阪仏壇が本格的に発展していくのは江戸時代になってからである。石山本願寺に代表されるように大阪はもともと浄土真宗の拠点であった。檀家制度、宗旨人別制度等の施行で仏壇を設ける習慣が普及し仏壇の生産は拡大していき、大阪は次第に産地としての体裁を整えていった。
1800年代になり錺長や錺平など打ち出しの技法が錺金具で、光押し、重押し、粉留などが箔押しで、呂色塗りが漆塗りで開発された。彩色では繧繝(うんげん)彩色という優雅さを表現する技法が開発された。また金具の錆による損傷を防ぐため漆を盛り上げて錺金具を打ったように見せた高蒔絵の技法が開発されたのもこの時期である。
江戸初期以降、大阪産地では唐木仏壇の生産も行われた。仏壇需要の増加に対応して、杉や松・檜等で簡単な戸棚仏壇を作るようになった。江戸中期以降は、紫檀、黒檀、花梨材など「からの木(唐木)」と呼ばれ輸人材で仏壇を作る職人も出てきた。漆塗仏壇のデザインや技法を取り入れ、徐々に大阪産地独自の唐木仏壇として発展し塗仏壇と並んで大阪産地の主要製品となっている。
組合の沿革
昭和19年 4月19日 (法)大阪宗教用具統制組合 設立
昭和22年 2月10日 (法)大阪宗教用具商工業協同組合 改組
昭和28年10月11日 (任)大阪宗教用具親和会 改組
昭和42年10月20日 (法)大阪宗教用具商工協同組合 改組
事業
1.組合員の事業に関する経営及び技術の改善向上または組合事業に関する知識の普及をはかるための教育情報の提供
2.組合員の福祉厚生に関する事業
3.前各号の事業に付帯する事業
2016/07/05